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加藤恵津子さん:
2001年度UBC心理学科・日本研究センター研究員、
現・国際基督教大学教員
 
異文化適応ワークショップ 第6回 (2002年2月)
鹿毛真理子さん(緊急時通訳)
* 以下は2002年2月、バンクーバーに滞在する日本人学生を対象に行われたワークショップでのお話です。「ピアねっと」では、より多くの方にこのお話に触れていただくために、鹿毛さんのご理解を得てウエブサイトに掲載させていただいています。
 

「異文化適応」というテーマで、今までの、荒波にのった私の人生を、かいつまんでお話ししたいと思います。私の人生はいくつかの段階に別れています。が、特に日本から来ている若い方にとってとっつきやすいのは、カナダに移住してきた時の話でしょうか。

私は1975年に、家族で移住しました。私は14歳になったばかりでした。それまで、日本で私立の中学校に通い、何の不自由もなく暮らしていました。両親は国際結婚でしたが、私はかけっこが速く、自分に自信があったし友達もたくさんいました。よく、国際結婚の両親の子供は、ガイジンなどと言われ差別を受けることがあるようですが、私は人にからかわれたり、いやがらせを受けた記憶がありません。

母はソーシャルワーカー、父は学校で教える共働き夫婦でしたから、1週間に6日、乳母(うば)である60代の日本人の女性が、うちに来てくれていました。私にとっては二人お母さんがいるようなものでした。

今思うと、その時までに苦労していなかったから、カナダに来てからのカルチャーショックも強かったのでしょうね。移民してきて、まず、学校になじめませんでした。日本ではおさげでセーラー服で、校則の厳しい学校に通っていたのに、こちらではみんなジーンズをはいていて、音楽の時間には机の上に座ってしまう。また、日本では先生が黒板に書いたものを暗記していたのに、こちらでは先生が「さあ自分で調べなさい」と言って、あまりちゃんと教えてくれない。「すごいいい加減、これが学校なのかな」と思いました。

その上、14歳の思春期ですから、あまりにすべてのことがいっぺんに変わってしまい、物事が自分の手におえなくなってしまいました。まず身体が女性らしく変化してきて、体重が増えてきました。このような時期に、カナダでは普通なのでしょうけれど、男の子に肩に手をまわされ、ショックを受けました。そして英語も、家で母に教えてもらっていたけれど、苦労しました。7、8年生の時に、5年生ぐらいの英語力しかありませんでした。それで、授業についていくために勉強ばかりして、普通の子のような生活をしませんでした…というか、みんなと交わるのを避けていました。

他の子は異性と付き合い始める頃ですが、私は、身体が変化するのを受け入れられなくて、拒食症になりました。高校を卒業するまで摂食障害が続き、体重も30kgちょっとしかありませんでした。食べ過ぎたり吐いたりをくりかえし、自己嫌悪していたけれど、このことは両親には話せませんでした。私は痩せてはいたけれど、バレエや自転車、水泳をやっていたので、周りの人は私が病気だとは思わなかったようです。しかし18歳になっても生理がないので、医者に行きました。

今思えば、当時の私は、カルチャーショックに加え、落ち込んでいたと思います。というのも私は、12年間育ててくれた乳母と別れ、泣くのを我慢して悲しみをため込んで、カナダに来たのです。子供の時、日本語で話す相手は乳母でした。母は、英語で話しかけてきて、私は日本語で答えていました。つまり、日本での私の子供時代は、まず全体的に日本語の世界があり、その中で母とだけ英語の世界を持っていました。しかしこっちに来たら、全体的に英語の世界で、乳母はいません。この中で、私は母と、英語でも日本語でも深い話ができないでいました。

それからカルチャーショックの方ですが、なぜカナダ人の生徒たちは、家の人が作ってくれたお弁当をゴミ箱に捨ててジャンクフードを食べるのか…など、そのあまりの道徳心のなさが、私には理解できなかったし、見ていると身にこたえました。自分はそうなるまい、と思いながら、カルチャーショックを誰にも話さず、摂食障害になりました。そうなると自分で自分を恥ずかしいと思うようになりました。1970〜80年代は、摂食障害に関する社会的認識が浅く、先生やカウンセラーが心配してくれる様子は全然ありませんでした。今思えば精神的に不安定で、自分で自分をabuse(虐待)していた時期だったと言えます。

20歳ぐらいの時、ひとまわり年上の日本人と知り合い、大学も中途半端で駆け落ちし、それから15年間アメリカで暮らしました。私は長女で、親からの期待もあったから、このような形の結婚に親は大反対でした。自分はというと、心の中で分裂がありました。「自分は日本人?カナダ人?」、それから「何をしたいのかわからない」。だから、30歳ぐらいの、自分というものを持っている男性に魅力を感じたのでしょう。

20代のうちに、子供を3人、ポンポンポンと産みました。今思うと、まだ摂食障害もあったし、落ち込んでもいました。親きょうだいは周りになく、彼中心の生活。さなぎ状態で、彼と二人だけの国で、自分の夢などなく、子供3人を夢中で育てました。

そして20代後半になると、自分の中でどんどん不満がつのりました。結婚しているのに寂しい。子供がいるのに寂しい。彼はほとんどいつも仕事をしていて、会話もない。そして彼は、私が寂しいということに気がつく人ではありませんでした。今思うと、彼自身が落ち込んでいる、unhappyな、余裕がない人でした。でも当時の私は、「もう少し自分がおいしいご飯を作れば、家をかたづければ、子供をちゃんと育てれば、彼が元気になるんじゃないか」と、何でも自分のせいにして空回りしていました。そして気がついたら、育児ノイローゼになっていたのです。子供がケンカすると、どうしていいかわからなくなりました。

すべてをうちあけて話し合える友達はなく、子供たちが寝ると、ひたすらアドレスブックを開いて、誰に電話しようと考え、でも話をしても表面的なことで終わり、「一時しのぎ」という感じの日々でした。食べ過ぎたり吐いたりは、少し良くなっていたけれど、週に2、3回やっていました。子供を公園に連れて行くなど、一生懸命外に出たけれど、心の中はなぜかポッカリと穴があいていたような状態でした。

ある時、育児ノイローゼのお母さんのサポートグループに参加しました。自分の問題を人と話し合える場を見つけられ、解放され、それからカウンセラーにも通い始めたのですが、話すだけのカウンセリングではいたたまれなくて、何かしたいと思いました。小さい時から活発だったので、29歳の時、子供をコミュニテイ・センターの合気道に連れて行った際、自分も習い始めました。少しずついろいろな勉強会を探し、また、他の日本人のお母さんとピクニックを企画しました。学生に子守りをしてもらいながら、日本語も教え始めました。

こうして、夫中心に、結婚だけにうるおいを求めるのではなく、自分のうるおいを求め出しました。私の20〜30代は、さなぎから脱皮して、自己実現する時代でした。テイーンエイジャーの時にすべきだった、自分を見つめる作業を、遅れて、かけ足でしていました。それまで自分は自分が嫌いで、unhappyで、育児にひたすら追われる毎日だったのですが。

結婚は失敗でした。合気道を6年続けて、初段までとりましたが、夫は一度もテストを見に来ませんでした。周りの人は、私がシングルマザーだと思っていたようです。自分が夢中になっているものを支えてもらえない寂しさを味わいました。

自信はついたけど、このままでは結婚生活は続けられない、と思い、4年半前、カナダに移りました。といっても離婚手続きは長くかかりました。3人のうち、上の息子は夫に返し、2人の娘は当地で暮らしています。カナダに来た当時はまだ、「家庭を自分で壊してしまった」という罪悪感を持っていました。でも、別れる頃はギャーッと叫びたくなるような状態だったのですから、やはり別れるべきだったと思います。

手始めにボランティアで、親の仕事の手伝いを2年間しました。やがて、「自分が二つの国の言葉を話せるからには、自分に与えられた技術をフルに活かし、自分の責任を果たさねば、バチが当たる」と考えるようになり、「通訳の仕事をしたい」という手紙を病院などに送りました。また、日系カナダ市民協会の理事や、人権委員会を通して、いろいろな人と出会い、仕事も入ってくるようになりました。それまでは「自分の仕事をやってみたい」という余裕もなかったのに。

私は20代後半でやっと摂食障害を克服し、その時以来、合気道をしたり、日記を書いたり、力になってくれる友人たちに支えられたりして、徐々に自分に対する自尊心を得ました。Unhappyな夫にひっぱられていましたが、そこから抜け出す元気を身につけて、カナダに戻って来ました。そして、ボランティアをして、不平等な扱いを受けている日系人、学生、若い人、女性を見せられました。

自分自身、結婚している時仕事もできず、また私のやる気をなくす夫にひっぱられていたので、虐待やハラスメントを受けている女性がいるという状態に我慢ができなくて、職場のセクハラやdomestic violence(家庭内暴力)のワークショップ(セミナーと話し合いをあわせたもの)の企画に加わりました。また、国際結婚の会というものがあり、そこに通訳として関わるうちに、「自分は国際結婚だったんだ」と気づきました。

私は父に、「君はハーフじゃなくてダブルなんだよ」と言われていたので、自分は「完全に日本人で、かつ完全にカナダ人」だと思っていました。だから日本人の夫とうまくいかない時、「なぜ日本人同士なのに」と悩んでいたのですが、今思えば、私たちは国際結婚だったのです。それからこの会にやみつきになり、ボランティアで企画、司会、通訳を全部やるようになりました。今は、若い日本人移民女性などボランティアの方々に、ワークショップの方は任せるようになり、一方で一年前、サポートグループ(同じ立場の人たちが定期的に会って交流を深めるもの)を発足させました。

もう一つ、自分の仕事について言えることがあります。通訳を通して、言葉が話せないために、病院で精神病者あつかいされている人に出会います。また、法的な手続きを手伝っていると、ボーイフレンドから虐待を受けている女性がどこに行っていいかわからない、などというケースに出会います。このような時、どれだけ精神的なカウンセリングのサポートがこの街に欠乏しているかに気づかされました。

通訳をしていると、経済的に自立する喜びもありますが、同時に、前の結婚で苦労している時にたくさんの人にお世話になった、その恩返しができるという喜びがあります。移民としてのカルチャーショック、拒食症、国際結婚、子育て、離婚。こういった自分の経験をぜったい無駄にしたくない。くやしいからなんとか無駄にしない方法はないか、と考え、一年半前から、Vancouver Community Collegeでカウンセリングの勉強を始めました。若い頃は、自分が何をしたいのかわからなかったけれど、今、かけ足で勉強を始め、久しぶりに学校に通う楽しみを味わっています。カウンセリングのプログラムでは、自分についての勉強が何よりも先です。お互いにカウンセリングしながら、自分を知るようになります。

数年前に離婚が落ち着いてから、ゼロから始めた私も、今では新しいパートナーと共に、お互いに助け合いながら楽しく生活しています。過去の失敗を大切な教訓と理解し、二度と繰り返さないためにも、また私の経験が少しでも他の人たちにとって役に立てばと思いつつ、国際結婚サポートグループへの参加は、欠かしたことはありません。通訳・翻訳のフリーランスの仕事と勉強も空いた時間にしているけれど、いずれカウンセリングの仕事と両立していけたらと思います。

仕事のことばかりお話していますが、もちろん、専業主婦であることにhappyな方もいますから、それも良いと思います。私自身、専業主婦である時期も必要だったと思っています。専業主婦だったおかげで、上の三人の子供たちに、母親としてやってあげられることを、自分なりに精一杯、思う存分時間を費やしてやることができました。この点で、家庭を経済的に支えていた前の夫に感謝しています。

今では、私は自分の情熱を常に探しています。プラス、健康管理も大事です。人生の中で、自分がコントロールできないことがたくさんありましたが、心の健康も、身体の健康も、自分で先がけて管理しないといけません。

自分がどうすれば生き生きとしていられるかに関しては、人に頼れません。相手が「あれをしてみたら」と言うのを待っていたら、自分は成長しません。また、自分が何かやりたいことを見つけた時に、それを支えられない相手と一緒にいることはものすごく苦痛です。前の夫は、「皿も洗っていないのになんで合気道なんかするんだ?」と言うなど、多くのことに対し批判的で、物事をマイナスにとらえがちな人で、私は自分の成長のためになることを押しつぶされていたように感じていました。自分の成長を一緒になって喜んでくれる人と付き合うことが大事です。

そして自分と一緒になる人こそ、貴重な「鏡」のような存在だと思います。だから前の夫との関係では、お互いに落ち込んでいたし、同時に私は私で、マイナス思考ではなくプラス思考に行動をとろうと心がける励みにもなったわけです。

参加者からの質問:自分を支えてくれない人とは別れた方がいいでしょうか。

まず「なんでその人は、そういうことを言うのかしら」「自分もこういうことを思ったり、誰かに言った事はなかったかしら」と一歩置いて考えた方がいいと思います。そして自分はどんな人間になりたいか、何をしたら楽しい毎日がすごせるか、を常に考え、自分にとってインスピレーションを与えてくれる友達・環境に自分を持って行くことが大事だと思います。

自分を尊び、それを人に及ぼす。自分を好きにならなかったら、相手に傷つくことを言われても気づかない。何回いじめられても、ちょっとやさしくされると相手のところに戻ってしまう人がいますが、それは、自分自身を卑下することです。大事な弟や妹がそのような状況にいたら、あなたはかばうでしょう?自分のことも大事にしてかばわないと。

やはり「趣味」を持つことは大事でしょうか。

自分は持っていて良かったと思います。若い人は、まだこれからですので、サインに敏感であると良いでしょう。例えば音楽を聴いていて惹きつけられる瞬間があるかもしれません。そうしたら突進する。ナイトスクールに行くことになるかもしれない。でも時間やお金がないかもしれない。そうしたら何でも、例えば「歩くこと」が趣味でもいいと思いますよ。

 
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