精神医学の世界では、比較的最近ですが、「多文化間精神医学」という分野が始まりました。これは文字通り、「文化と文化の『間』における精神医学」で、「異文化適応に困難を経験したら、どう対応するか」に関するものです。カナダに暮らす私たち日本人にとって、この分野は遠い所にあるものではありませんね。
さて、「異文化適応の困難」と言いましたが、その前の段階として、人によるさまざまな条件があり、これをはっきりさせなければなりません。
まず、(1)難民。これは特にカナダで大きな問題です。この人たちは、外国に行く準備ができていないけど、母国にいると命が危ないから、などの理由で急遽外国にやって来ます。このほとんどの人が心の傷を持っていますので、この人たちには、「異文化適応の困難」と「心の傷」という、二つの問題を解決する必要があります。
次に、(2)正式な移民の課程をふんで移民してきた人。動機としては、冒険心、夢の実現などがあるでしょう。しかし中には、実は自分の国で心の傷を負っており、「こちらの全然ちがう文化に入ったら、たやすく癒されるのではないか」という期待を持って来る人もいます。
第三のメジャーなグループは、(3)留学生です。私も35年前にドイツに留学しました。このグループの大多数の人は帰国を前提としており、ルーツにつながるものを持ち続けています。ですので、上の(1)(2)とは異なり、そんなに異文化に適応する必要はありません。
以上、三つの主なグループを挙げました。しかし、それぞれの持つ異なる条件を超越して、「異文化に適応する条件」というものがあります。
まず、(1)自分が安心できる場を、心の中、または現地で持つこと。例えば、自分と同じ過去を持つ人のグループや、日本人のグループに属することです。こういうものをサポートグループといいます。異文化は挑戦、冒険であるけれど、人によってはストレスフルなもので、緊張が高まります。でも、サポートグループがあって、安心できればできるほど、挑戦しようというmotive(動機)が出てきます。
「サポートグループを持っている人ほど異文化適応率が高い」というリサーチ結果もあります。これは、商社マンの奥さんの異文化適応を調査したものです。旦那さんは朝から晩まで働いていますが、職場の中というのは、日本でも外国でもあまり変わらず、あまり「異文化」ではありません。一方、奥さんの方は、隣の人と急にコミュニケーションがとれなくなるなど、もっと直接、異文化を体験します。英語は、ほとんどの人が学校で習ったことがあるとはいえ、会話の英語は学校英語とは違います。また、小さい子供がいれば、外に出られなくもなります。
このように、駐在員の奥さんの異文化適応には困難が伴いますが、その中でも比較的適応した人には共通点があります。それはご主人との仲がいい、ご主人とのコミュニケーションがうまくいっている、ということです。ご主人が仕事から帰ってきたら、奥さんが悩みを話すことができたり、一緒に劇場や買い物に行ったりできるカップルの場合、奥さんは婦人会で積極的に活動するようになったり、隣人とも交流したりするようになります。つまり、安心できる場を持っているから、挑戦する動機が生まれるのです。一方、夫婦間のコミュニケーションがうまくいっていないと、奥さんが孤立したり、落ち込んだりしやすくなります。
異文化適応の第二の条件は、(2)ことばが上手く話せる、ということです。これとサポートシステムがあるということは関係しています。というのも、安心できる場があって初めて、ことばも挑戦しようという気になるからです。これは移民、難民でも同じことです。
でも、ことばを上手く話すというのは、学校で何かを習い、それを暗記してペラペラしゃべる、ということではありません。少ししゃべれるようになっても、ぶつかる壁があります。それは「日本の発想で考え、訳し、話してしまう」という壁です。日本の発想で話してしまうと、こっちの人にはわかりません。そして「何を言ってるんだ?」という顔をされると、私たちは恥かしくなったり、閉じこもったり、あるいは怒ったりします。
この壁を破るには、こちらの人の発想がどこから来ているのか、そして日本人の発想がどこから来ているのか、知らなければなりません。日本では「相手の心を読みとる」ことを小さい時から教えられ、またそうできる人が尊敬されます。そして傷つけるようなことを言わないよう、ものごとを間接的に、遠回しに言うようしつけられます。
一方、ヨーロッパや北米では正反対です。相手にわかってもらうために、自分の思いや考えを的確につかんで、より正確に表現するよう、小さい時から訓練されます。だから彼らは言いたいことをバリバリ言います。日本語訳したら大変なことでも、どんどん言います。でもだからといって、お互いに傷つくわけではありません。
カナダ人も、みなさんに、言いたいことをバリバリ言うことを期待しています。しかし、この点でつまずいてしまったカナダ人と日本人の夫婦がたくさんいらっしゃいます。何か問題が起こったとき、カナダ人配偶者が"Let's
talk!(話し合おう)"と言うのに対し、日本人配偶者は「そんなこと、話す前にわかっているだろう?どうして私の気持ちが汲めないんだ?」と考え、「話したくない」といって相手を遮断します。こうして二人は平行線をたどっていまいます。
このつまずきは、誰が良い、誰が悪いというのではなく、「(二つの文化が)違う」ということから来ています。それでは、この「違い」を乗り越えて生活していくにはどうしたらよいか。一つには、?こちらに住むからには、こちらの発想を学ばねばなりません。もう一つは、(2)「私は」いったい何を考えているんだろうか、と常に意識することです。日本では、自分が何を考えているかなどいちいち意識しないでも暮らせますが、こちらではいつも意識し、そして認識したら話さねばなりません。
私自身はドイツに住んで、それができるようになるまでに8年かかりました。8年たって、ドイツ人の考えがスッと入ってきたし、私の考えもドイツ人にスッとわかってもらえるようなりました。私はこの時、「敷居を越えたな」と感じました。
カナダに何十年も住んでいても適応できない方は、たくさんいらっしゃいます。この方たちは、仕事は上手くできているけれど、人間関係は上手くできないようです。こういう方たちは寂しいものです。例えば、仕事はできて社会的信用はあるけれど、家庭には日本のものを持ち込み、家族に対して亭主関白にふるまい、奥さんや子供たちはこれに耐えられない、といった状況です。このような方はどうしたらよいか。ここで、先ほどの「発想法」とつながりますが、三つの「人間関係のパターン」について触れましょう。
第一は、(1)「非・依存的パターン(independent relationship)」です。ヨーロッパや北米の発想ですが、各自が「個人としての」権利や生き方を追求するものです。このような人間関係が主流の社会では、社会が私たちの生き方に干渉することは非常に少なく、その分、自由が大きく、生きやすいのですが、同時に、独立した人間同士が一緒になっても、関係が崩れやすい面があります。例えば、相手に魅力があるうちは親しくつきあうのですが、魅力がなくなると話もしない、電話もしない、そんな人がいたことも忘れてしまう、ということが起こります。このような社会で暮らす時には、そういう短所もあるということを知っておく必要があります。
第二は、こちらの人の言い方をすると、(2)「共・依存的パターン(co-dependent relationship)」です。これは極端に言えば、1から10まで相手のことを気にして生活する関係です。「腐れ縁」ということばが示すように、なかなかくずれない人間関係ですが、同時にストレスは強いものです。それで耐えられなくなる人もいます。この種の人間関係は、もちろんつねにというわけではありませんが、日本の社会の典型的な一面ではないでしょうか。
さて、第一のパターンだと、日本人は傷つきがちで、こちらの人はそれほど傷つきません。しかしもし、互いにとって深みのある、味わいのある人間関係が作れるとしたら、それはどのようなものでしょうか。
ここで触れたいのは、(3)「相互・依存的パターン(inter-dependent relationship)」です。これは、個々人が自分の独立を保ちながら、信頼し合い、また相手の心を察する関係です。?と?の中間のパターンといえます。この関係に至るにはどうしたらよいか。それには、「私たちにはみんな違いがある。違いがあっていいんだ」と考えること、そして互いに話し合って共通の土台を見つけていこうとすることです。日本でもこちらでも、こういう関係を作ろうと心がけていると、作れるものです。
人によっては、このような心がけを無視して国際結婚してしまう人がいます。日本人は「共依存」したがりますが、カナダ人にはこれは息が詰まるものです。だから自分のスペースを確保するために、日本人配偶者を突き放すのですが、日本人はこのことで傷つきます。
「違いがある」ということを受け入れて、その上で、お互いに話し合いながら人間関係を作っていく。このような態度の必要性は、ホームステイやハウスシェアなどでカナダ人と暮らすと始まります。こちらの人は、ホームステイやハウスシェアは「交渉」だと思っており、こちらの要求を言っても、すぐさま「出て行け」とはなりませんから、こっちも交渉してよいのです。
「相互依存」という考えはまた、カナダでの日本人同士のつきあいにも役立ちます。「相互依存」は孤立とは違い、合わせる所は合わせて、合わせなくていい時は合わせない、というものです。日本人同士でたまれる場所、何でも話せる場所を持ちながら、たまり漬けになるのではなく、外の世界に挑戦する、という両面を持つとよいでしょう。
自分の文化の枠を超えることは大変ですが、超えることは可能です。そして新しい世界に入ってみると、楽です。かえって、日本に帰ったらre-entry
culture shock(逆カルチャーショック)が大変かもしれません。自分の国だと思っても何だか合わなかったり、他の人の反発をかったり、「こいつケンカを売りに来たのかな」と思われたりということがあります。帰国する時はそれを考えておくとよいですね。
参加者からの質問:「ドイツ人との敷居を越えた8年目、というのは、何か特別なきっかけがあったのですか」
8年目は、(精神科医としての)専門教育を終え、患者が向こうから来てくれる病院勤務を終え、資格をもらって、自分のクリニックを開いた年でした。「患者さんが来てくれるかな」と最初不安でしたが、たくさん来てくれて、2、3年たったら、新患の待ち期間が1年、というほどになりました。しかしこのように、ドイツという私にとっての異文化に入ったのは、(クリニックを開いたという特別なできごとがあったからというよりも、)それまでの積み重ねが実を結んだのだと思います。妻がドイツ人ということもあります。(今は)私は、姿は日本人だけど、口を開いてドイツ語をしゃべると、ドイツ人と同じなのです。
質問:「ドイツからカナダに来た時、再び異文化ギャップを感じましたか」
ドイツに22年住んだ後、カナダに移住しました。ドイツとカナダは別の国ですが、私にとって、日本からドイツに行った時に経験した異文化ギャップに比べれば、ドイツからカナダに来た時に経験したギャップは、はるかに小さいものでした。
ヒルデガルトさん(堀江夫人)への質問:「あなたは、ドイツ人でありながら日本人男性と結婚し、また現在はカナダという外国で暮らしていらっしゃいますが、あなたの異文化適応のコツは何ですか」
日本人とドイツ人の間には、たくさんの共通点があります。まじめであるとか(堀江氏:仕事の倫理感、完全主義、時間厳守、なども)。私は日本に行った時、自分が日本の人に受け入れられているな、と感じました。そしてドイツ人も、日本人に特に敬意を持っています。戦後、何もないところから復興したなどの点で、親近感を持っているのでしょう。
一方、ドイツ人とカナダ人の間にも、たくさんの共通点があります。それに、カナダ人はフレンドリーで、オープンで、自己表現が豊かで、ユーモアがあって、一緒に暮らしやすい人たちです。
また私と夫は、個人として似ています。二人とも相手を傷つけないような感受性を持っています。もっとも、もしかしたら私は典型的なドイツ人ではないのかもしれませんね、ドイツ人の中には、相手を傷つけるほどはっきりものを言う人もいますから(笑)。
(引き続きヒルデガルトさんに)「あなたの異文化適応のコツは、(1)異文化の中に、自分の文化との共通点を探すこと、(2)「〜人は」という一般化をせず、個人差に敏感であること、の二点でしょうか」
私は新しいものも好きです。でも、異文化の中に、自分の文化と共通のものを見ると、くつろぎます(feel at home)よね。日本の人が、ドイツやカナダに来ると完全主義になりすぎるなど、「やりすぎ」をするのをよく見ますが、もっとリラックスされてはどうでしょうか。
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