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加藤恵津子さん:
2001年度UBC心理学科・日本研究センター研究員、
現・国際基督教大学教員
 
異文化適応ワークショップ 第4回 (2001年11月)
山城猛夫さん(「隣組」デイレクター、2001年11月当時)
異文化適応ワークショップ 第5回 レポート >>
* 以下は2001年11月、バンクーバーに滞在する日本人学生を対象に行われたワークショップでのお話です。「ピアねっと」では、より多くの方にこのお話に触れていただくために、山城さんのご理解を得てウエブサイトに掲載させていただいています。
 
山城猛夫といいます。僕のことを、みんな「タケ」と呼びます。カナダのいい面は、たとえ国会議員であろうとみんなファーストネームで呼び合うことですね。日本では国会議員は「先生」ですからね。

僕は「異端」なので(笑)、異文化適応について語るのにいいモデルかどうかはわかりませんが、敢えてお話してみます。まず、日本人は「単一文化」から来ているといえますが、そんな日本人にとって、カナダの文化は「異文化」で、しかも同時に「多文化」です。よく言われるように、アメリカが文化の「melting pot」(さまざまな文化が溶け合ったゴッタ煮)なのに対し、カナダは文化の「モザイク」、つまりいりいろな要素が溶けずに共存している国といえます。だからカナダはアメリカに比べ、国家主義(「国民は国家のもとにまとまるべきだ」という考え)がそれほど強くありません。

僕はカナダに来た時、自分の文化に似たものが見られて嬉しく思いました。例えば僕はチャイナタウンのそばに住んでいますが、このことで非常に助かっています。中国人というのは、安全な、比較的自分たち日本人と同じコンセプトを持っているように思います。だから中国文化は、僕にとって異文化ではあるけれど、これがあるおかげで僕は孤立しなくて済みます。

ところで、カナダに多くの文化が共存しているのは、政府の方針として「多文化主義(multiculturalism)」が採用されているからです。多文化主義というコンセプトは、1970年代から出てきたもので、このコンセプトを生み出した一人に、Ted 青木という日系人もいるんですよ。1980年代初めに、カナダは自分の国の憲法を確立しましたが、この時、「自由と権利の憲章(Charter of Rights and Freedoms)」といって、人間一人一人の人権を保証する、憲法の一部であり柱である決まりができました。

この「人権の保障」という考え方の根本にあるのは、「個人」というものの確立です。日本は基本的に、人々が、世間または社会の中で自分がどう映るかを気にしている国ですね。学校でも、「社会の中での責任や義務」という考えをしっかり習います。一方でカナダの子供たちは、「自分の、個人の権利」という考えをしっかり習います。カナダの学校では、小学校に入った頃からすぐ、自分の権利、また同時に自分を主張することを教えられます。例えばshow & tellといって、なんでもいいから自分の好きなこと、話したいことをみんなの前で話す時間があります。僕の子供たちはカナダの学校に通っていますが、初めはプレゼンテーション(人前で自分の考えを述べること)の力が弱かったようです。

今の若い人の時代はもっとマシかもしれないけれど、僕の時代、日本の学校では、自己の確立というよりも「大学入試」が一大教育目標でした。しかし、大学入試なんか目標にしていると、精神的にも経済的にも自立が遅れます。カナダ人が子供の時からなんでも一人でやらされ、大学の学費も基本的に自分で稼いで払うのに対し、日本では大学の学費は親が払うのが当たり前です。このような状況では、自分が独立する時期が遅れてしまいます。

さてここで、カナダの日系人の歴史の中で、「個人」や「人権」という考えが果たした役割をお話しておきましょう。[カナダの日系人は、第二次世界大戦中、国籍はカナダ人でも「日本人」であるということで、敵とみなされ、収容所に入れられ、財産をカナダ政府に没収されました。]これに対し1982年から、日系人の間で「redress(リドレス)」という運動が起こりました。Redressは文字通りには「服を着せかえる」という意味ですが、ここでは「過去に着せられた汚名を脱ぎ、失った名誉をあらためて着る」ことを意味します。おもしろいことに、この運動のベースになったのは、「(日系)コミュニテイの」というよりも、「個人の」権利を剥奪された、という考えでした。つまり、「二万二〜三千人の『個人』の人権をカナダ政府が剥奪した」という考えがベースになって、運動が進んでいったのです。そしてそれをベースにできる基盤が、カナダにはできました。連邦会議の議員さんの間に、社会的マイノリテイを調査する小委員会ができ、1984年、彼らが調査の結果として書いた答申の中に、「日系人に対する過去の不正を正せ」という項目があったのです。

1985年前後までは、バンクーバーの日系人には、「隣組」ぐらいしか活動の場がなかったので、ここがリドレス運動に関わる人の出会いの場となり、運動中も、活動の場の一つであり続けました。そしてカナダ政府に、日系団体が最初の投球をしたのが「Democracy Betrayed」(裏切られた民主主義)という意見書でした。

こんなふうに自分のアイデンテイテイを主張するのが、カナダ流のやり方です。カナダに住む日系人は、リドレス運動以前は、外に向かってアイデンテイテイを主張することがありませんでした。でも日系三世を中心にアイデンテイテイの模索が始まって、時代の流れにも乗って、日系人も自分のアイデンテイテイを外に向って主張するようになっていったのです。

自己主張に関して、日本人とカナダ人の違いを、もっと身近な例で見てみましょう。例えばカナダには家庭医(family doctor、かかりつけの医師)がいて、何かあるとまずこの人に診断してもらい、必要とあれば専門医を紹介してもらいます。この最初の診断の時に、自分の症状や、どうしてほしいかをはっきり言わないと、専門医にまわしてくれません。一方、日本人には「気をまわす」習慣があり、医師も、患者の方からはっきり言わなくても事細かに聞いたり、相手のしてほしいことを察したりします。極端になると、「京都では伝統的に物事は三回聞く」というように、「いかがですか」と何かを勧められた時に、最初から「じゃ、いただきます」と言う人は礼儀知らずと思われてしまいます。「結構です」と一回ことわり、二回ことわっても、まだ相手が勧めてくるようであれば、はじめてもらっても良いのです。もし一回ことわって、相手が「そうですか、残念ですね」と言えば、相手は初めからあげたくなかったわけです。一方カナダでは、欲しかったら一回目からもらっていいし、あげたくなかったら向こうも「いかがですか」とは言いません。

もちろん、日本の「気をまわす」習慣には良い面もたくさんあります。しかし困る面もありますね。それは日本からバンクーバーに来る若い人の悩みにも反映されています。「隣組」には、ESLの学生さんが相談に見えることもありますが、彼らが言うには、「ESLで、中国人は頭に思いついたことを何でも言う。でも自分には話すチャンスすらない。自分は学校で役立たずだ。学校を変えたいがどうしたらいいか」。このような状況では、その人の性格によっては、黙り込んで孤立してしまい、だめになってしまうかもしれません。

警察ざたでも同じことです。最近の例ですが、ダウンタウンで、ATM機を使ってカナダ人が日本人の若者をだます事件が多発しています。彼らはいきなり日本人に話しかけ、情けにうったえる口調で、「非常事態で現金が必要だ。今すぐ一緒にATM機に行って、君の口座から現金をおろして貸してくれ。僕は今は現金がないが、口座に金はあるので、君の見ている前で、ATM機を使って君の口座に僕の金を入れるから」などと複雑なことを言います。実際にはその人の口座から日本人の口座に振り替えなどされないのですが、日本人はわけがわからないにもかかわらず、相手の気持ちを察して、相手の言う通りにし、後になって現金をだまし取られたことに気づくのです。さて、僕が被害者を警察に連れて行ったら、警察は「あなた(被害者)があげたんだから、詐欺や犯罪にはならない」と言うのです。そこで僕は、同じ方法で何人も被害にあっていることをとことん主張しました。こういう時はケンカをしてもいいのです。この場合、(警察と被害者という)人間関係はそんなに深いものじゃない、根にもつものではないので、とことん自己主張していいんです。でも日本から来たばかりなら、ここまでaggressive(攻撃的)になれないでしょうね。

このようにカナダでは、自分自身がこうだと思ったらとことんやっていかないといけません。その代わり、そのような人を擁護する機関もあります。裁判ごとも日常茶飯事です。

最後に、自分自身のことを話します。僕自身は「異端」で、いつも人との出会いに守られ、ヌクヌクしてきたので(笑)、こっちの文化に入れなくて困ったということはありません。それでもカナダという異文化の中で、僕のcomfort(生活の安らぎ)となったものをあえて挙げるなら、尺八。尺八が吹けることで友達がたくさんできました。ちょっと吹いたら、知らない人からもすぐ夕飯をおごってもらえたし(笑)、移民になる面接でも、紋付に袴(はかま)姿で尺八を吹いたら、移民局のスタッフがみんな集まってきて、面白がってくれました。そもそも僕が尺八吹きになった理由は、コンピュータにさよならしたこと。日本で、僕は会社のシステムエンジニアで、ソフトウエアを開発していました。でも人間が頭脳を使わなくなっていく、人間がだめになっていく、と感じ、仕事をやめました。それで尺八吹きとなり、カナダに来たのですが、僕にとって尺八は、特技でもあり、コミュニケーションの手段でもあり、またこれのおかげで文化的に日本人の生活が保てたのです。

自分自身の文化を機軸に持っていれば、他の文化を理解するにも役立ちます。特に僕のように年をとると、オリジナルな文化に戻るものですが、最近つくづく良いと思うのは、日本人の持っている叙情文化。万葉集、古今和歌集と似たものなんて、よその文化を見てもありません。時々目を閉じて、メデイテーション(瞑想)するなどして、自分のオリジナルな文化を保つと良いですね。もちろん、他の文化への差別につながらないように、いつも自己反省する必要はありますけれど。

日本的な情緒は、上手に使ったら、カナダでもどこでも通用する「美徳」だと思います。日本人と、よその文化の人々が、お互いにcomfortableに(心地よく)気をまわせるようになります。日本的な情緒は、人間関係の発展のさせ方によっては、独特だからこそ重宝です。

今の日本に関して一番ポジテイブなものは、若い人がどんどん外(外国)に出てくること。日本では、よその文化を知らないエリートが「国際社会」と言っているけれど、次代の国際社会の本当の担い手は、外国生活を今、経験しているあなたたち若い人です。この点で、カナダに来るたくさんの日本人の若者に、僕は期待しています。
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