みなさん、今日はどんな「気持ち」がしていますか。
日本を離れて生活するみなさんが、感じることが多いと思われる、二つの「気持ち」があります。一つは不安(anxietyアンクザイエテイ)。「なんだかつまらない、なんだかわかんないけどいい気持ちじゃない」という状態です。これがたまってくるとfrustration(フラストレーション)。「思うようにいかなくてイヤ!」という気持ちです。こういう気持ちがもっともっとたまって深刻になってくると、恐怖症(paranoiaパラノイア)や神経症(nervousnessナーバスネス)などになってくるのですが、今は、最初の二つに限ってお話しします。
みなさんは、「なんだか原因はわからないけれどスッとしない」という気持ちを、今までの生活の中で持ったことはありますか。日本語の「切ない」ということばはすごくそれに当てはまりますね。「切ない」は英語で言うと何でしょう。Lonelyとは少し違いますが、若い人の使うblueなどがそれでしょうか。
このような「なんかピッタリと来ない」という気持ちは、自分にとって「わかっている」環境にある時、例えば、これをこうすればこういう結果になる、とか、あの人はこう考えている、とかがわかる時には、あまり感じないものです。でも、自分にとって「わからない」環境にある時、例えば、他人が思っていることがわからない、自分の思っていることを相手がわかってくれない時、私たちは「自分がまわりにハマってないな」という気持ちを持ちやすくなります。
もう一つ、「なんだかわからいけれどピッタリと来ない」気持ちを感じやすいのは、「帰属意識」を持ちにくい時。日本にいた時は、例えば、自分は家族の中で「長男」だ、社会の中で「高校生」だ、というふうに、自分の帰属するものがどこかわかりやすいものです。それが海外に来ると、そういうものから切り放され、自分がどこに、何に帰属するのか、ちょっとわからなくなる傾向があります。
何人かの研究者が考えた、異文化適応までの心の動きのグラフを見てみると、細かいところは違いますが、どれも全体として波型のところが似ています。来る前は不安で、来たばかりは興奮して、そのあとカルチャーショックでガックリきて、それからいろいろなことができるようになって自信が出てくる。けれど、やがて「表面的にうまくいってるけど何か切ない、自分がまわりにハマっていない」という気持ちを持って…というふうに、波を繰り返しています。実際には、波型といってもきれいな曲線でできているのではなくて、たくさんのもっと小さな波からできている、と考えられます。
みなさんは、カナダでの新しい生活のある部分を自分のものとして採り入れ、2年後、4年後には、自分の中に「カナダの文化が何%」「日本の文化が何%」というふうになっていることでしょう。例えば、日本ではみんながきちんとしているけれど、カナダでは、いろいろな文化の人が異なる尺度で暮らしており、一つの文化の尺度が通じるとは限りません。その結果、カナダ人はあまり自分の基準の主張をせず、おっとりしている傾向があります。このような環境では、見えないこと・わからないことに対してあまり神経質にならない人、おおざっぱで隙間だらけの情報しか与えられなくても、それはそれでよしとして平気で進んで行く人の方が、ノイローゼにならないでうまくやって行けると思います。
それから、自分の価値がわかっている人の方がうまく行きます。つまり、「自分が何者かまだわかっていないけれど、自分は大切な人間なんだ」とわかっている人のほうが、新しい環境でうまくやって行きやすいのです。
でも、「自分の価値」と言っても、日本にいた時は、「まずまわりがあって自分がある」という考え方をしやすかったと思います。子供の時から、泣くと「お兄ちゃんでしょ、我慢しなさい」と言われる。良い成績をとるのも、自分にとってチャレンジだからではなく、まわりが期待しているから。一方カナダ人は、「まず自分があって、それからまわりがある」という考え方をする傾向があります。だからみなさんも、カナダで、「自分にはいい所がたくさんある」とつねに考え、自分自身の大切さを求めて、生活していってください。
UBCのカウンセリング教育の石山教授は、「まわりの環境は変えられないことの方が多いが、自分の気持ちはある程度変えられる」と述べています。つまり、ある程度自分の価値をわかっていると、まわりの状況がネガテイブでも、自分の中からポジテイブなものが引き出せるのです。
ではその「自分の価値」を感じるのに必要なものは何でしょうか。図4は、ある研究者が作った、「人間に必要なものの段階」を示すものです。一番底辺、つまり一番基本にあるのは、衣食住の必要が満たされていることです。次は安全が守られていること。その次は帰属意識。そしてその上に、esteem(エステイーム、自分の価値の自覚)にもとづく人格、が乗っています。そしてこの自覚を持つには、物理的・感情的に満たされているだけではだめで、「精神的に」満たされていること、つまり、誰かに尊敬されているとか、感謝されているとか、平等に扱われていることなどが必要なのです。
カナダに来たばかりの時は、楽しいことと思いますが、例えば半年後、学校の学期の真中に、「まだあと6週間も残っているのに授業がおもしろくない」「この学校で良かったのか」などと、「切ない」気持ちに戻ることがあると思います。そんな時のために、まず
(1)「話せる人」を持ってください。自分より先にカナダに来ている人は特に貴重でしょう。どの人も、話しかけると、思ったよりずっと力になろうとしてくれるはずです。
(2)「これをすると楽しい、スッキリする」ことを持ってください。カナダでこれをやろう、と思って、日本から何かを持ってきた人はいますか。楽器?スノーボード?こっちで買いますか?そういうものがあると、とても助けになります。
(3)小さいことでもいいから、毎日何かを達成してください。今日はコンピュータが使えるようになった、学校のプロジェクトを全力を尽くしてやった、など。小さな達成を積み重ねて行くことは、自分の価値の自覚につながります。
まとめますと、自分のいいところを忘れない、多少見えないことにも神経質にならない、こわがらないで人に話しかける。それからスッキリするものを持つこと、小さな達成を積み上げていくことです。
私自身は33年前、25歳でカナダに来ました。戦後、カナダ政府が移民を受け入れ始めた2年目のことでした。その頃バンクーバーには、日本料理屋は一軒しかなかったし、JALもまだバンクーバーに飛んでいなかったんですよ。もちろん、家族からもそれ以外からも反対されました。母だけが、往復航空券を買うことと、毎日手紙を書くことを条件に、私を肯定してくれました。
私は日本では、かなりの束縛を感じていました。長女で、妹がいるのに、25歳になっても嫁にも行かずに若い女性が…などと言われ、お見合いも3回させられましたが、そのたび反発しました。カナダに来ると、かえって自分一人で、「長女であること」「女であること」といった外からの束縛がなかったのは良かったと思います。
私は日本で秘書をしていて、2、3年英語を使っていましたから、こちらに着いて1週間で仕事が見つかりました。しばらくして、英語は慣れたけれどどこかコミュニテイに入っていないのを感じました。でも、日本人は、英語を話すのは慣れていなくても読み書きはできますから、そう自覚し、また、自分は仕事はきちんとやっているんだという自覚を持ちました。何より、自分からやってみたくて行ってみたくてカナダに来たのですから、何があっても乗り越えられました。健康だったことも役に立ちました。一年たたないうちに友達もできました。日本人の友達が最初だったけれど、アパートの大家さんや住人、職場の人など、さまざまな人がいました。今は、一年に1回プライベートで日本に帰りますが、日本よりも、こちらの方がホームカントリーでしょうか。
でも私の日本的な面が裏目に出た体験もあります。カナダ生まれの日系二世の主人と結婚したのですが、日本の「妻として母として」他の人を先にする態度がどうしても出てしまい、主人に「うっとおしい」と言われてしまいました。例えば、気配りのつもりで「お茶にしますか、コーヒーにしますか、お砂糖は、クリームは…」と聞くと、「飲みたい時には自分で勝手にやるよ!」と。今でも時々、この日本的な面が出ますが、最近冷たくなりました(笑)。
カナダの国籍を取った時点で、日本国籍は放棄しました…と言っても、「意地で」喪失届は出していません。「自分」の半分を日本に持っていることを誇りに思っていますから、自分から日本国籍を放棄する気にはなれないのです。
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